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「市政改革!!」やすらぎと安全の都市づくり

「市政改革!!」やすらぎと安全の都市づくり

2018年11月01日 活動報告

立冬号 平成30年11月

はじめに

早いもので、あの大地震から2年7ヶ月、まだ傷の癒やされない方々が何万人もおられます。全ての熊本市民の方々が、一日も早く普段の生活に戻り、心安らぐ気持ちになることを願ってやみません。 市長選挙も終え、大西市政の2期目もスタートすることができ、とても喜ばしいことです。しかし日本社会のおかれた状況は『少子超高齢社会〜人口減少〜労働者人口減』に伴う外国人労働者流入とこれまで2千年以上の年月をかけ培ってきた日本文化に悪い影響がではしないかと多くの国民が不安を抱いております。 またAIの進化により職を奪われる人々が20年後には人口の半数近くになるとの野村総合研究所の発表には、暗中模索の感が否めません。これからの若者達はどのような人生設計をすれば良いのでしょうか? 先日内閣府の国際4ヶ国調査で、『働く理由』の設問に、日本人とアメリカ人の約半数は、『収入(お金)が欲しいから』との答え、ドイツ人とスウェーデン人の約半数は、『仕事そのものが面白く、自分の活力になるから』との答えでした。皆さんはどう考えられますか? 私は73年前の米軍占領の影響で、アメリカ文化(拝金主義)に日本人が感化されつつ有ると強く感じるのです。 これらの事を念頭に置き、これからの政治・行政は何を成すべきか皆さんと共に議論していきたいのです。

熊本市の公費で、避難所炊き出し!!!

それは一人の避難者の一言から始まったのです。「1週間、冷たい食事ばかりで胃がおかしくなる。落水さん何とかしてもらえんですか?」花園小学校体育館の一人の避難者が、震災から7日目に私に訴えた言葉でした。私は即座に考えました。「水道は復旧した。ガスはまだだ。火がいる、火力?」私はすぐ家庭科室へ行った。有った!そこにはプロパンガスのコンロが数台。筬島校長に使用したいと伝えた。先生は教育委員会に聞いてくれ、震災後の安全確認を業者がすれば、使用して良いとの回答。私はプロパンガス業者を見つけた。業者は、そういう事情ならと数時間で来てくれ安全確認がとれた。次は、食材と調理をしてくださるマンパワー?本妙寺商店街のヒキヂ商店と宮川精肉店に走った。両主人共に快く野菜・カレー粉と肉を無償提供してくださった。まだカレー粉が足りない。数がいる。どこかないか。島崎のゆめマートへ走る。店長さんが「要るだけ持っていきなさい」と言ってくれた。涙が出た。もう一息。あとは調理してくださる女性? 人数がある程度必要だから…、婦人会しかない。まず7町内の栗川会長と2町内の稲田会長に連絡をとった。両会長とも会員に声を掛けてみるとの嬉しい返事。その日の内に人数はそろった。明日はカレーができる!!と思った瞬間、明後日はと思った? 毎日個人商店から食材を寄付して貰う訳にはいかない。どうするか。食材か食材を買う経費がいる。私は副市長の高田氏へ電話し、災害協定を結んでいるスーパーに協力を得れないかと懇願した。翌日高田副市長からゆめマート新町店で購入許可を得た。一食当たりの単価は指示されたが、その金額で一日おきにプリン程度のデザートも十分出せるものだった。翌日から公費炊き出しは、1週間続けられた。他の町内の婦人の皆さんも続々手伝いに来られた。また7町内阿部自治会長には、私と一緒に毎日新町まで軽トラで買い出し頂いた。 皆様、本当に感謝、感謝! です。後に分かったことだが、このように公費で炊き出しが出来たのは、市内で花園小学校だけであった。今回のことで先例ができたので、次の大災害時には市内全域でこの方法が取れると確信した。

 

池田校区大規模地滑り大西市長と視察!!

今回の大地震では、市内の至る所で大規模な地滑りがおきました。西区内では池田校区が特に酷く、池田1丁目では宅地が一区画丸々70㎝もズレたのです。余りの酷さに市道と民地の境界もズレ、このままでは市民の財産に影響がでかねないと感じてました。ちょうどその頃、大西市長が近見の液状化を視察されると側聞しましたので、私は即座に市長に「池田も酷いので視察に来て欲しい」とメール致しました。市長から「分かりました」との連絡。私と故田尻議員と一緒に市長視察が叶いました。次の6月議会の都市整備委員会、私は土地収用も視野に入れ市民の財産に影響の無いよう依頼し、了承を得ました。池田校区の全ての方が、一日も早く枕を高くして休まれますよう願っています。

井芹団地の復旧と秋津団地のジャッキアップ復興視察

大地震直後の井芹団地は、元々が田んぼの中に建設した為、地震で地盤が下がり、上水道・下水道の配管が途中で破断し、上階の汚物が下の階の部屋に溢れ、それはもう惨憺たる状態になりました。私が現況調査で巡回中に、村田自治会長とバッタリお会いし、即刻住宅課に連絡、業者手配が出来たのは、スピード感の有る市民との連携プレーの賜物で、1日遅く業者が見つからなかったらと思うとゾ〜とします。写真は、秋津団地地震復興の一棟丸ごとのジャッキアップでの基礎杭入換え時の写真です。私は現場を必ず視察する、『現場主義』のスタンスで仕事を致します。

城西校区の麹川除草浚渫工事

災害は地震だけでは有りません。手前味噌に聞こえるかもしれませんが、私は危機意識が特に高い議員だと自負しています。その理由は、井芹川沿いに61年間住み、何十回も水害に被災しているからなのです。城西校区内を流れます麹川も、定期的に除草浚渫を市役所に依頼しています。本年度も自治会長さんと共に陳情し、写真の通りです。来年に浚渫工事も致します。

花園5丁目井芹川護岸震災復旧 目処立つ!

大変お待たせ致しました。井芹川の大規模被災で最後まで工事の見通しがつかなかった、山王橋上流右岸200m付近の復旧工事期間が決まりました。11月26日〜来年3月末までです。延び延びになった理由は、路肩崩落防止を行う特殊工事業者が、全国の災害復旧に追われ、本工事の請負業者が手配できなかった為です。先月花園コミセンで、一瀬・宮本・阿部自治会長らと私4名で県と打ち合わせをし、工事期間の圧縮を陳情し、上記の期間に短め決定されました。

危機管理の先駆者として

近年、日本中で大災害が続き危機管理が叫ばれております。本市でも熊本大地震が起きてしまいました。現市長以前の6次の総合計画では『危機管理』という章すら有りませんでした。当時私は自民党の政策責任者をしておりましたので、市民の生命・財産を守るには、『危機管理』を章以上に位置付けすべきであると提言致しました。H26年の総合計画の中間見直しで、やっと叶いました。(注1)しかしH28年4月熊本地震が起きてしまいました。危機管理の基は作ることは出来たのですが、それで動く市職員への指針や周知は、熊本地震への対応には間に合わなかった訳です。私が総合計画に『危機管理』を章以上にすべきであると提言し始めたのは、H22年のことですから…、あの時すぐに動いていてくれてたら、熊本地震の初期対応はもっと上手くいってたのではないかと…。悔やまれてなりません。

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